読モ化はライターだけではない、もっと広域な作り手側の問題だと思う

http://bylines.news.yahoo.co.jp/miyazakitomoyuki/20170207-00067457/

「ライター」を名乗り、それを生業にしている筆者は、ライターを取り巻く現状について考えることが多い。といっても、現在では「ライター」の定義自体が揺らいでいて、同業者と話していても共通認識が得られず、議論が空転することもしばしばだ。しかしそこに、「ネットやSNSの出現によって、ライターの仕事が『読モ』みたいなものに近づいている」という補助線を引くと、現状がクリアになる気がする。

このニュースを読んで色々と頭にあったことが筆者と同じく自分自身もだいぶスッキリした。作者も書いているとおりだけれど、この「読モ化」という概念を咀嚼する上でまず整理しよう。

  • 作り手
    • 記事のライターや、クリエイター、技術者など
    • 物を作ったり技術を探求する人などが該当
    • コンテンツを供給する側の人
  • 受け手
    • 消費者や読者など、作り手が作ったコンテンツを受給する側の人
  • 読モ化
    • 「顔出し」や「本人そのものがコンテンツ化(商品化)」する事
    • 主に作り手側の意識や戦略、身なりに関する表現
    • 読モ化した作りて手には、作品より作者本人に価値があると言う周囲の認識が伴う
    • また読モ化した作り手の特徴として、作品作りは「自身のタレント性を表現する一つの手段」であり、こだわる必要がない(偶然それができるからそれをやっているに過ぎない)
    • 例)「ライターの過度な顔出し(本人が出ることがコンテンツである、彼とか)」「コスプレイヤーの作品再現より本人が前に出た作品など(その作品のキャラになるのは自身に注目を集めるための手段)」「ボカロ曲を作っていたと思ったら本人のニコ生が始まって曲を作らなくなった(曲を作るのは注目を集める手段)」
  • 読モ力
    • 作り手側の「読モ化」の度合い。受け手側(読者や消費者など)が感じ取るバロメータ
    • 主に受け手側がその人やその作品を判断するときの基準としている(無意識にしている場合が多い)
    • 例)「あの作者が可愛いから作品を買う(買う動機は、あくまで可愛い作者だから)」「可愛い女の子が登壇するからXamarinの勉強会に行く(勉強会に行く動機は可愛い女の子に会えるから)」
    • このように作りて側の「読モ化」が受け手側の行動に作用するエネルギーを「読モ力」として考える

「読モ化」が主に作り手側の変化の話なので、その変化に伴うエネルギーを「読モ力」とした。こうすることで理解が進む。

「読モ化」はなぜ発生するのか

先程の記事では「読モ化」しているという話だったが、掘り返してみるとなぜ作り手が読モ化するのか、と言う疑問が湧いてくるはず。そこで自分なりに頭を整理してみた答えがこれだ。

  1. 受け手側が作品の善し悪しを判断するときに、作者の人間性を気にする文化はもともとあった(ネット時代よりもさらに前からの前提として)
  2. ネット時代が到来し(概ねWeb2.0到来以降)作品を公開するあらゆるプラットフォームが整備され、ネット上に大量の作品が溢れた
  3. ネット上に大量に作品が溢れた結果、受け手側の自分好みの作品を探し出す手間が膨れ上がった
  4. ネット上に大量に作品が溢れた結果、作り手側の練度は大幅に向上し所謂「うまい作品」が増えた
  5. 3,4のサイクルが何回か回った結果、ネット上に「うまい作品*1」が溢れ、さらに受け手側の手間が膨大になった
  6. そして「うまい作品」は希少性を失っていった(「うまい作品」であるためのハードルが遥か高くに設定されてしまった*2
  7. 作品の希少性が失われると、作り手側に還元される「承認」は不足し、作り手は「承認不足」の状態になる(その作品へのアクセスが増えたとしても、反応は減るため)
  8. 作り手側は「承認不足」の状態を脱却するために、より楽に注目を集める事ができる差別化要因を探し出す
  9. この時並行して受け手側も作品探しに疲弊しており楽な方法を探していった結果、作品とは関係ない作者の人間性を気にするという文化が先鋭化していった
  10. 受け手のそのような変化は、作り手側から楽で効果のある差別化要因として認識される
  11. 結果として本人自体を売りとする手法や考え方が確立され広がっていった

この流れの中で受け手側の疲弊を解消するために生まれたのがキュレーションという考え方です。(悪用されちゃったけど機能としては良い)
また、「読モ化」が進みすぎた結果発生するのが「オタサーの姫」であり、諸問題色々有るけれど根源はここかと。

このように、受け手側と作り手側の変化が双方に影響を与えながらお互いに妥協点を探していった結果が「読モ化」であると考えている。

「読モ化」と承認欲求とメリットデメリット

先程の解釈の上では「承認」と「承認不足」という単語を出して説明した。これは単に承認欲求に於ける承認の話。ただし、一般的な承認欲求に於ける承認の解釈に「支払われる報酬も承認である」という解釈を加えた上で、この「読モ化」を咀嚼する必要がある。

というのも、この記事に於いては特に生業としてのライター(Webで記事を書くライターも含めて)の「読モ化」も指摘しているからであり、それ以外の理由としても、今現在生業としての「作り手」が置かれている状況を加味すると、報酬と承認は切り離せない関係にあるからである。

自分自身クリエイターもやっているので報酬はよく意識しているが、生業としての「作り手」にとっては「SNSでもらえるいいねやFav」と同様に「やった仕事でもらえる報酬」や「尊敬する人やすごい人と一緒に仕事ができたこと」についてもその仕事を続ける上、作品作りを続ける上では重要な承認である。

これらの承認の要素に「読モ化」がどのような影響を及ぼすかというと

メリット

  1. 「読モ化」することで本人に注目が集まり、アクセスが欲しいクライアントの意向とマッチする
  2. 「読モ化」することで担当に気に入られることで仕事が増える、結果として報酬も増える(ここで安価な発注をするとご破算になる。女性ほど有利な手法)
  3. 「読モ化」することでつながりが増えて業界の中で生きているぜっていう感覚が生まれる(自己承認を行う)
  4. 「読モ化」することで何となく自分は特別という感覚が芽生えてきて仕事に取り掛かれる(自己暗示に近いけど実際効果はある)

デメリット

  1. 「読モ化」すると周りの職人気質な作り手からバカにされたり軽蔑される(しかし本当にデメリットはあるのか?交友範囲でカバーできるのでは?)
  2. アンチが増える(しかし、精神力が強ければ耐えられる、所詮ネットだし)
  3. 「読モ化」するとプライベート含めて人生オープンソース化するので、家庭持ちには辛いかも(やまもといちろうみたいな例も有るが、敵を作らなければ良いという話もある)
  4. 女性が「読モ化」すると、アンチに加えてストーカーも発生する(そして実際に事件になる例もあるが極稀である)

色々と考えてみたが「読モ化」はアンチが増えるがそのデメリットを無力化できる一般常識や思考力や精神力があれば、いい事だらけでありむしろなんでやらないのと言い出しそうな人が多分にいるのもよく理解できる。

「読モ化」について作り手が取るべきバランス

記事の中で筆者は

筆者が思うのは、おそらく現在、多くの人が「ライター」としてイメージするのは「読モ」としてのライターなんだけど、彼らが物書きとしての「本流」になることはないということだ。

と述べているがこれは本当だろうか?

おそらくこの記事を書かれた胸のうちにあんな奴らとは違う俺は本流だ、というような意識を垣間見えることができる。たしかに一般的に見て「読モ化」していくとチャラく見えるので、実力がないのにちやほやされやがって、と思われるのは仕方がないことだろう。ただし、本流かどうかはその本人の実力や作品自体の練度の高さが物語るのであって、決して「読モ化」と同じに語ってはいけない。

「読モ化」すると身の丈にあっていない仕事が来ることはおそらく増えるだろう。ただし、作り手ならば来た仕事に全力で答えて身の丈を伸ばして行けばよいだけの話で有る。ただ、この筆者が指摘したいことは多分、「読モ化」することによって、実力を伸ばすような仕事が来なくなり(周りはキャラを売ることを求めるから)、「本流」を伸ばすための実力が付かなくなる(実力をつけるための余力がなくなる)ことを懸念しているのではないかと考えられる。(汲み取り過ぎかもしれんけど)

作り手が「読モ化」という禁断の果実に手を出すときは、そのバランスを見誤ってはならない。より自分におごること無く、実力がつくかどうか、人気が出るかどうか、承認は増えるかどうか、をバランス良く考えていくことが重要となる。

このバランス感覚を鍛えた上で「読モ化」という手段をとれるならば、それはとても強い武器になると思う。

「読モ化」の失敗例

失敗から学ぶのは重要である。「読モ化」の失敗例は身の回りに転がっているからよく観察するといいだろう。決してコードをあまり書かないが開発者向けに勉強会と称した事実上の姫集会をやっているような人になってはいけない。

*1:わかりやすくするために、絵に例えてうまい作品というような表現をしている。WEBの記事であればより共感できることや納得がいくこと、深く考察されていることなど、それぞれの分野の尺度で測ったときにこれはうまい(良い)作品だと言えるものとして考えてください

*2:今でもちゃんと本当にうまい作品は評価されるが、その基準が少なくともプロよりもうまい必要が出てきてしまった